米国がICC赤根智子所長を制裁 日本政府はどこまで対応している?

何が起きた?
トランプ米政権は2026年8月18日、国際刑事裁判所(ICC)の赤根智子所長を経済制裁の対象に指定しました。
米財務省外国資産管理局(OFAC)は赤根氏を制裁対象者リストに追加しました。2025年2月にトランプ大統領が署名した大統領令では、対象者の米国内の資産を凍結し、米国人などとの資金・物品・サービスの取引を原則禁止する仕組みが設けられています。
米国は、ICCが米国やイスラエルなどICCに加盟していない国の関係者にも捜査や訴追を及ぼしていることを問題視しています。一方、ICCは今回の制裁について、司法機関の独立を脅かすものだとして強く反発しています。
今回の指定によって、ICCでは18人の裁判官のうち9人が米国の制裁対象になりました。
日本政府は8月19日、今回の措置について「大変残念」とする談話を発表。その後、茂木外相は「我が国の立場と相容れるものではない」と述べました。
高市首相によると、日本政府は制裁指定を避けるよう、発表直前まで米国側へ働きかけていました。
では、日本政府は具体的にどこまで対応しているのでしょうか。
簡単にいうと
たとえば、会社から「あなたに海外の重要な仕事を担当してほしい」と頼まれた社員を想像すると分かりやすくなります。
その人は会社の推薦を受けて海外の組織で働き、そこで実績を積んだ結果、現地の人たちからトップに選ばれました。
ところが、その仕事を理由に別の国から個人として制裁を受けることになった――というのが、今回の構図に少し似ています。
もちろんICC裁判官は日本政府の代理人ではなく、裁判では独立した立場で判断します。
それでも重要なのは、赤根氏が日本政府と無関係にICCへ参加した人物ではないことです。
赤根氏自身によると、法務省法務総合研究所長だった2016年、ICC裁判官選挙への立候補を要請されました。
その後、日本政府は赤根氏を正式に「我が国の候補者」として指名しています。
外務省は当時、日本人裁判官をICCへ送り出すことについて、「我が国が重視する国際社会における法の支配の推進にも寄与する」と説明していました。
つまり、赤根氏のICC裁判官への立候補と当選は、日本が国際司法へ人材面で貢献する外交政策の一部でもあったわけです。
それで何が変わる?
今回の制裁は、赤根氏個人だけの問題にはとどまりません。
日本はICC加盟国であり、これまで資金面だけでなく、日本人裁判官を送り出すことでもICCを支えてきました。
その日本が支援してきた裁判所の所長が、ICCでの職務を理由に米国から制裁されたことで、日本が掲げる「法の支配」と、米国との同盟関係をどう両立するのかが問われることになります。
ただし、日本政府が赤根氏を「ICC所長」に任命したわけではありません。
経緯を整理すると、
日本政府側からICC裁判官への立候補を求められる
↓
日本政府が正式候補として指名
↓
2017年、ICC裁判官選挙で当選
↓
ICC裁判官として活動
↓
2024年、同僚のICC裁判官による選挙で所長に選出
という流れです。
ICC所長は各国政府が任命するポストではなく、裁判官自身の選挙によって選ばれます。
そのため、「日本政府が赤根氏をICC所長にした」という説明は正確ではありません。
一方で、赤根氏をICC裁判官候補として擁立したこと自体は、日本政府が進めてきた政策でした。
赤根氏は「日本政府が送り出した人物」?
「日本政府が送り出した」という表現は、意味を限定すればおおむね実態に合っています。
日本政府は2016年、赤根氏をICC裁判官候補として正式に指名しました。
2017年に赤根氏が裁判官選挙で当選した際にも、外務省は「今後とも、人材面でもICCに最大限の貢献を行っていく」と表明しています。
さらに2024年の外交青書でも、ICCへの日本の貢献として赤根氏ら日本人裁判官の活動を取り上げています。
したがって赤根氏は、単に海外で働いている日本人ではなく、日本政府が国際司法への人的貢献として支援してきた人物と見ることができます。
ただし、ICC裁判官になった後の司法判断は日本政府から独立しています。
日本政府が候補として擁立したからといって、赤根氏の判断やICCの個別の捜査・判決について、日本政府が責任を負うという意味ではありません。
ここは分けて考える必要があります。
日本政府はどこまで対応している?
日本政府の対応は、表に出ている言葉だけを見ると慎重ですが、実務面では制裁発表前から動いていました。
高市首相によると、日本政府は赤根氏が制裁対象にならないよう、米国に対して複数のレベルで働きかけていました。
さらに、制裁によって金融取引などに支障が生じる可能性も想定し、政府として赤根氏への助言や支援を行っていたと説明しています。
外務省の国際法局長もオランダを訪れ、赤根氏本人から直接状況を聞いています。
そのため、「日本政府は『大変残念』と言っただけで、何もしていない」という見方は正確ではありません。
一方で、もっと明確な意思表示を求める考え方もあります。
日本政府はこれまで、ICCへの参加や日本人裁判官の派遣を「国際社会における法の支配」への貢献として説明してきました。
その裁判所の所長が司法上の職務を理由に制裁された以上、日本が制裁そのものへの反対をより明確に示すべきだ、という考えです。
赤根氏自身も8月26日、日本が米国との緊密な関係を利用し、ICCへの圧力がさらに強まることを防ぐよう期待を示しました。また、米国から圧力を受けるICC加盟国が裁判所を離脱しないよう、日本が働きかけることにも期待しています。
一方、日本にとって米国は最も重要な同盟国の一つです。
そのため、公の場で強い言葉を使って米国と対立するよりも、非公開の外交交渉を通じて制裁撤回や追加措置の回避を求める方が効果的だ、という判断もあり得ます。
さらに、日本政府がICCを支持していることと、ICCのすべての判断を無条件に支持することも同じではありません。
茂木外相は、今回の米国の制裁について「我が国の立場と相容れるものではない」としつつ、ICC自身にも国際社会から信頼される適正な運営が求められるとの考えを示しています。
つまり現在の日本政府は、
ICCへの支持を維持する
赤根氏への制裁回避・支援のため米国へ働きかける
米国との同盟関係も維持する
ICCの運営については必要な改善を求める
という複数の立場を同時に取ろうとしています。
今後の焦点は、「日本政府は弱腰なのか、強硬なのか」という単純な話ではありません。
米国との関係を保ちながら、日本がこれまで掲げてきた「法の支配」とICCへの支持を、どこまで具体的な外交行動で示すのかという点にあります。
情報源
- 米財務省OFAC「International Criminal Court-related Designations; Venezuela-related Designation; Issuance of International Criminal Court-related General License」
- 米ホワイトハウス「Imposing Sanctions on the International Criminal Court」
- 外務省「国際刑事裁判所(ICC)に対する米国の制裁」
- 外務省「茂木外務大臣会見記録(2026年8月25日)」
- 首相官邸「『中東情勢を踏まえた緊急的激変緩和措置』及び『物価高対策』等についての会見」
- 外務省「国際刑事裁判所裁判官選挙への赤根智子法務省法務総合研究所長兼国際司法協力担当大使の候補者指名」
- 外務省「赤根国際司法協力担当大使兼最高検察庁検事の国際刑事裁判所裁判官当選について」
- 文春オンライン「『何か得意分野を作った方がいい』『環境があなたを育ててくれることもある』。国際裁判所所長・赤根智子が日本に送るエール」
- 外務省「赤根智子国際刑事裁判所(ICC)判事の裁判所長選出について」
- 外務省「外交青書2024 国際社会における法の支配」
- ICC「The ICC strongly rejects new US sanctions designations」
- Reuters「ICC urges Japan to counter US campaign against court」