相手を名指しして「シコシコ書いていた」と書いても侮辱罪にならないのか? 鈴木エイト氏への投稿で無罪、何が争われた?

相手を名指しして「シコシコ書いていた」と書いても侮辱罪にならないのか? 鈴木エイト氏への投稿で無罪、何が争われた?

何が起きた?

2026年9月16日、ジャーナリストの鈴木エイト氏をインターネット上で侮辱したとして侮辱罪に問われていた弁護士の中山達樹被告に対し、東京地裁は無罪を言い渡した。検察側は罰金10万円を求刑していた。

中山氏は世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の顧問弁護士を務めていた人物である。一方、鈴木氏は長年、旧統一教会を取材・批判してきたジャーナリストであり、両者は強く対立していた。

問題となったのは、中山氏が2023年8月に自身のブログへ掲載した記事である。

記事では鈴木氏について、マスターベーションという言葉を使いながら「シコシコ書いて独り溜飲を下げていた」と表現したほか、「いじり人格」「おちょくり坊主」などと記していた。

鈴木氏が告訴し、東京地検は2025年12月、中山氏を侮辱罪で在宅起訴した。しかし東京地裁は今回、有罪とは認めなかった。

簡単にいうと

今回の事件で重要なのは、

「ものすごく失礼な悪口」と「刑法上の侮辱罪」は、必ずしも同じではない

という点である。

たとえば友人から「あいつの文章は完全な自己満足だ」と言われれば、言われた側は当然不快になるだろう。

しかし刑事裁判では、「不快だったか」「下品だったか」だけではなく、その表現が人の社会的評価を害する侮辱に当たるのか、さらに批判や論評として許される範囲なのかまで判断される。

今回、中山氏側は「マスターベーション」「シコシコ」といった言葉について、性的な意味で相手を辱めたのではなく、文章を書く行為が「自己満足的」「独善的」「同じことを繰り返している」という趣旨の比喩だったと主張していた。

検察側は反対に、こうした性的な表現や「いじり人格」といった言葉を使うことで、鈴木氏を「人を揶揄して快感を得る人物」のように描いており、人格への非難であると主張していた。

ここが裁判の大きな争点だった。

それで何が変わる?

今回の無罪判決を、

「ネット上で相手を名指しして『シコシコ』『マスターベーション』などと書いても合法になった」

と理解するのは危険である。

侮辱罪は、投稿された言葉だけを切り取って機械的に判断する制度ではない。誰が、誰について、どのような議論の中で、何を批判する目的で書いたのかといった文脈も重要になる。

法務省も、侮辱罪に該当し得る表現であっても、「公正な論評」など正当な表現行為であれば処罰されない場合があると説明している。

一方で、単純に相手の容姿や人格を罵倒したり、何の議論とも関係なく侮蔑語を投げつけたりすれば、同じような言葉を使っても結論が変わる可能性がある。

さらに、刑事事件で無罪になったことと、民事上の損害賠償責任がないことも同じではない。

つまり今回の判決は、「この言葉なら使ってよい」という新しいルールを作ったものではない。

何が「侮辱」とされた?

中山氏が2023年8月に掲載したブログ記事では、鈴木氏の活動について「独りマスターベイションするようにシコシコ書いて」といった表現が使われていた。

鈴木氏側が公開している資料では、このほかにも「マスかき活動」「マスかきブログ」など、自慰行為を連想させる表現が繰り返されていたとされる。

検察側は、こうした表現が単なる取材手法への批判ではなく、鈴木氏の人格そのものをおとしめる内容だと主張した。

一方、中山氏側は、約2500字の記事全体を読めば鈴木氏のジャーナリストとしての活動方法を批判した文章であり、一部の強い表現だけを抜き出して犯罪にするべきではないと反論した。

つまり、

検察側は「人格への侮辱」

弁護側は「活動への厳しい論評」

という見方で対立したのである。

なぜ無罪になった?

ここは注意が必要である。

2026年9月16日の判決直後に確認できる報道では、東京地裁が無罪を言い渡したことは分かっているが、裁判所がどの法律上の理由を決定打として無罪にしたのかという詳しい判決理由は、まだ十分に報じられていない

そのため現段階で、

「裁判所が『シコシコは正当な論評だから問題ない』と認定した」

などと断定することはできない。

裁判では大きく二つの考え方が争われていた。

一つは、そもそも問題となった表現が、刑法上要求されるほど鈴木氏の社会的評価を低下させる「侮辱」に当たるのかという問題である。

もう一つは、仮に社会的評価を低下させる表現だったとしても、鈴木氏の公の活動に対する批判・論評として正当化されるのかという問題である。

法務省は、侮辱罪について「公正な論評といった正当な表現行為」は刑法35条の正当行為として処罰されないとしている。

表現の自由を守るため、刑事罰を科す範囲には一定の歯止めが必要だからである。

したがって今回の判決から現時点で確実に言えるのは、

「東京地裁は、このブログ投稿について刑事罰を科すだけの侮辱罪の成立を認めなかった」

というところまでである。

「なぜ『シコシコ』という言葉まで使った投稿が無罪なのか」という疑問に正確に答えるには、今後公開される判決理由や、判決後の詳しい取材報道を確認する必要がある。

無罪は「表現として適切だった」という評価とは別物である。刑事裁判が判断するのは、最終的には「不快な文章か」ではなく、「国家が刑罰を科してよい犯罪に当たるか」だからである。

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