琉球新報社説を巡り「スマホを置いて新聞を」が話題 新聞・テレビなら本当に正しいのか?

琉球新報社説を巡り「スマホを置いて新聞を」が話題 新聞・テレビなら本当に正しいのか?

何が起きた?

2026年9月の沖縄県知事選では、SNS上で候補者への誹謗中傷や真偽不明の情報が大量に拡散し、選挙とSNSの関係が大きな問題になった。

琉球新報は9月12日の社説で、ネット空間にデマや誹謗中傷があふれているとして、「誰が言っているのか発信元を確認する」「公式情報や一次情報で確かめる」「刺激的な表現に注意する」という三つの確認方法を読者に呼びかけた。

その後、SNSでは琉球新報の社説について、「正しい情報を得るために、スマートフォンを置いて、新聞テレビなど従来の媒体に目を向けよう」という文言を紹介する動画が拡散し、出演者がその表現について議論する場面も話題になった。

ただし、ここには一つ注意が必要である。

琉球新報公式サイトに掲載されている9月14日付社説「県知事選で古謝氏初当選 県民は県政刷新を求めた」を確認すると、ネット上で紹介されている「スマートフォンを置いて、新聞テレビなど従来の媒体に目を向けよう」という文章は、現在のウェブ版には掲載されていない。

9月14日のウェブ版には、知事選で「ネット空間での誹謗中傷や悪質なデマが問題となった」との記述はあるが、新聞やテレビを見るよう勧める文章までは確認できない。

紙面版とウェブ版で文章が違うのか、動画で別の文章と混同されたのか、現時点では確認できていない。

そして、この食い違いそのものが今回の問題を象徴している。

SNSで流れてきた動画についても、新聞の記事についても、元の資料まで戻って確認することが必要なのである。

簡単にいうと

「SNSにはデマがある。だから新聞やテレビを見れば安心」という考え方は単純すぎる。

たとえるなら、SNSは誰でも商品を持ち込める巨大なフリーマーケットである。

専門家が直接発信している場合もあれば、一般人の勘違い、切り抜き、広告、悪意ある偽情報まで一緒に並んでいる。

新聞やテレビは、仕入れ担当と検品担当がいる店に近い。

記者が取材し、デスクや編集者が確認し、発行・放送した内容には会社として責任を負う。そのため、一般的には匿名SNS投稿よりも検証の仕組みが整っている。

日本新聞協会も、新聞は正確で公正な報道を行い、誤った場合には速やかに訂正することを倫理綱領に定めている。

民間放送についても、日本民間放送連盟の放送基準には、ニュースの誤報を速やかに取り消し、または訂正するとの規定がある。

しかし、検品担当がいるからといって、その店の商品が絶対に間違っていないとは限らない。

さらに新聞やテレビには、SNSとは別の問題がある。

「何を報じるか」を組織が選べることである。

それで何が変わる?

報道の問題には、大きく分けて三つある。

一つ目は、事実そのものを間違える「誤報」である。

これは比較的分かりやすい。数字、人物、出来事などを間違えれば、後から訂正できる。

二つ目は、「どう報じるか」である。

同じ出来事でも、大きな見出しにする新聞もあれば、小さな記事にする新聞もある。ある発言を冒頭に持ってくる媒体もあれば、別の発言を強調する媒体もある。

これは必ずしも不正ではない。

世の中では一日に膨大な出来事が発生しており、新聞の紙面にもテレビの放送時間にも限りがある。すべてを同じ大きさで報道することは不可能だからである。

そして三つ目が、最も気付きにくい。

「報じない」という問題である。

裏付けが取れない、プライバシーを侵害する、公益性が乏しいといった理由で報じないのは、むしろ適切な場合もある。

しかし、報道機関自身や重要な取引先にとって都合が悪いため、追及が弱くなる可能性も否定できない。

ここでは「記事に書いてあること」だけを確認していても分からない。

記事そのものが存在しないからである。

新聞・テレビは「報じない」ことがある?

この問題がはっきり表面化した例の一つが、旧ジャニーズ事務所を巡る性加害問題である。

ジャニー喜多川氏の性加害については、週刊誌などが以前から報じ、2003年の東京高裁判決でも性加害に関する重要な部分の真実性が認められていた。

それでも、大手テレビ局などは長期間にわたりこの問題を大きく扱わなかった。

2023年、旧ジャニーズ事務所が設置した外部専門家による再発防止特別チームは、性加害が長期間続いた背景として「マスメディアの沈黙」を問題視した。

テレビ各局もその後、自社の対応を検証した。

中でもTBSホールディングスの特別調査委員会報告書はかなり踏み込んでいる。

報告書は、旧ジャニーズ事務所がTBSにとって「ビジネスパートナーだった」と明記した。

さらに、ジャニーズ関連ニュースの放送や取材について他部署からの介入があったことを認定し、取材対象との緊密な関係によって報道側に「心理的な抑制」が生じる可能性も指摘した。

報告書は、放送局は報道機関である一方で営利企業でもあり、視聴率や売り上げを優先する誘惑があるとして、報道の使命を利益追求によってゆがめてはならないと述べている。

そしてスポンサーや芸能事務所との関係についても、過度な便宜供与や、それを見越した「自制」が公平・公正・正確な情報発信をゆがめない仕組みが必要だと提言した。

これは非常に重要である。

スポンサーが直接、

「このニュースを放送するな」

と命令しなくても、

「この会社は大口スポンサーだから、こちらから積極的に追及するのは避けよう」

という自主規制が起きる可能性があるからだ。

報道バイアスについて過去の報道関係者の証言などを調べた研究でも、スポンサー企業への自主的な配慮が、記事の扱いや見出しの強さに影響し得ると指摘されている。

もちろん、ここから「新聞やテレビはスポンサーに都合の悪いことを全部隠している」と結論付けることはできない。

個々の報道について、スポンサーの意向が原因だったと断定するには証拠が必要である。

しかし、

「報道機関にはスポンサーや取引先との利害関係が一切影響しない」

と考えるのも現実的ではない。

自社の不祥事なら、さらに難しい。

報道機関は権力や企業を監視する存在である一方、自分自身も社員を雇い、広告を販売し、取引先を持つ企業だからである。

報道機関が自社について報じる場合には、

「社会に知らせるべき情報」と「会社を守りたいという利益」

が衝突する可能性が生まれる。

では何を信じればいい?

ここで「新聞も信用できない。だからSNSの方が正しい」と考えてしまうと、今度は逆方向に振れすぎる。

SNSには既存メディアにはない大きな利点がある。

事件や災害の現場にいる人が直接情報を発信できる。当事者が新聞やテレビを通さず説明できる。既存メディアがまだ注目していない問題がSNSから広がることもある。

一方で、誰でも発信できるという長所は、そのまま弱点でもある。

本人を装った偽アカウント、古い映像の使い回し、映像の切り抜き、生成AIによる偽画像、根拠のない数字なども同じ画面に流れてくる。

新聞・テレビはSNSより検証体制が強い一方、取材対象や企業との関係、社内の判断、ニュースの選択による偏りが生じ得る。

つまり必要なのは、

「SNSか新聞か」という二者択一ではない。

まず、情報の元を確認する。

政府の政策なら政府資料、法律なら条文、選挙なら選挙管理委員会の発表、裁判なら判決、企業の発表なら公式資料まで戻る。

次に、複数の報道機関を比べる。

一社だけが報じているなら、なぜ他社が報じていないのかを見る。逆に多くの媒体が同じ一次資料を根拠に報じているなら、信頼度は高くなる。

そしてSNSでは、「誰が投稿したか」だけでなく「その人が何を根拠にしているか」を見る。

新聞についても同じである。

新聞社の名前ではなく、記事の中にどんな証拠があるのかを確認する。

今回の「スマホを置いて新聞を」という話は、その意味で興味深い。

SNSで拡散している動画では琉球新報の9月14日付社説として紹介されている一方、現在公開されている琉球新報公式サイトの同日社説では、その文章を確認できない。

だから、

「SNS動画だから嘘だ」

とも、

「新聞に書いてあると言っているから本当だ」

とも、すぐには決められない。

紙面版を確認するなど、さらに一次資料へ戻る必要がある。

そして琉球新報自身が9月12日の社説で呼びかけた、

「発信元を確認する」「公式情報や一次情報で確かめる」

という方法を、SNSだけでなく新聞やテレビにも適用すればよい。

デマから身を守るために必要なのは、

「スマホを置いて新聞を見ること」ではなく、「一つの媒体だけを信用しないこと」

ではないだろうか。

新聞だから正しいのではない。

SNSだから間違っているのでもない。

誰が言ったかより、何を根拠に言っているかを見る。

それが、情報があふれる時代に最も現実的な自衛策である。

情報源